晴れの日が多くなって、生き物達が活気づく。
 そこから生まれる爽快感と、ほんの少しの倦怠感をもたらす季節を待って、皆出迎えの準備だって済ましているはずだった。
 暦は、とうの昔に新しいものへと変わっていた。
 それなのにどうだ。
 未だ里中は雪で覆われており、人の往来も少ない。日の光は届かず、暗雲が漂ったまま微動だにしない。視界に映るのは一面白模様で、風情もあったものじゃない。
 や、最初の頃は雪化粧を施した山々の情景や、しんしんと降る雪を手のひらに乗せては感慨深く思ったけれど。
 要はあれだ。飽きた。ただその一言に尽きる。
 とは言え、芯まで届くこの寒さは到底飽きる事など出来ない。寒いものは寒いのだ。ああ、暑いものだって暑い。じめじめしたのも嫌。渇いた空気はお肌の天敵。だから大嫌い。
 むむむ。つまりは、慣れない物は飽きないって事なのかもしれない。更に言うなら、飽きないからといって好きになれる訳でもないって事か。
 風が吹いてきた。今夜は吹雪くかもしれない。
 頬を刺す冷気と手袋越しにでも襲ってくる指先の痺れに眉をしかめる。ああ、帰ったらお湯やら化粧水やらその他諸々を用意ないと。
 その為にも、さっさと買物を済ませなくては。そろそろ里が近くなる、この辺からは歩いて向かう事にしよう。雪で覆われている為に着地点がよく解らないが、まぁこの辺は比較的舗装された道になっていたはずだ。多分。そう自分を納得させて、ゆっくりと、重力に逆らいながら地面すれすれまで降下する。
 つま先で確認。硬い。堅い。うん、固い。大丈夫そうね。
 問題のない事が確認出来たので、両足を地面に降ろす。ぼす、と鈍い音を立てた。結構積もっているらしい。

 「……ふぅ。今は何時なのかしら」

 ポケットから懐中時計を取り出す。時刻は午後の一時をちょっと過ぎたくらい。里へ降りて買物を済まし、ゆっくり飛んで帰っても晩餐の支度には余裕で間に合う頃だった。連日の雪で体内時計が若干狂っていたのが功を奏した。地面に積もる雪の深度から計るに、早めに館を出たのは正解だったらしい。
 ぼすぼすと、鈍い音も重ねてみれば痛快だ。少しだけ楽しくなる。
 思い出す。ああ、昔は雪が降ると思いきりはしゃいでは風邪を引いていたっけ。
 あの時看病してくれていた母の顔は、とうとう思い出せなくなってしまったけど。そのくらい、遠くまで来てしまったけれど。
 まぁそれでも今は心地良いのだし、あっちに居た時の殆どはこうやって忘れてしまってもいいのだから、例え慕っていたはずの母の顔だって例外ではないのだろう。
 家族と呼べる者は、あの館の人達だけでいい。

 「さぁてと。吹雪く前に帰りたいわね。時間はあってもゆっくりはしたくない」

 もう一歩を踏み出そうとした時、後ろの方からぼす、と鈍い音が聞こえてきた。
 翻り、忍ばせておいたナイフに手を掛ける。だが、まだ投げない。ここは一応、人里の近くだ。こんな気候で出歩くのは妖怪の類の可能性の方が高いが、里の住民の可能性も十分にある。今後の付き合いもある、無駄な殺生は避けたい。
 ――妖怪であれば、間違って当てても『ごめん』の一言で済むのだから楽でいいが。

 「――もし、そこのお嬢さん。こんな雪の日に、そんな薄着でどうしたんです? 」

 声の主は、女の子の様だった。
 凛とした、透き通った声だった。鈍い音を立てて、こちらへと近づいてくる。
 女の子が?こんな雪空の下で?しかも、こんな視界の悪い中で何故私の姿が解る?こちらからはうっすらと人影が見えるだけで服装など良く解らないと言うのに。

 「貴女こそ。こんな寒空の下、お使いか何かかしら」

 正直、もう投げてしまってもいいと思っている。
 日はまだ高い。見えないけど、時刻的にはまだ高い。けれど、どうだ。これほど雪が降り、吹雪く気配さえ見せている中で、女の子一人にお使いなんてさせるだろうか。私ならさておき、だ。
 そう、私ならさておきなのだ。なればこそ、声の主は普通の人間ではないかもしれない。人間ですらないかもしれない。
 先制を取りたいところだが、不確定要素は依然生きている。ナイフに掛ける指を握り直して、息を潜め反応を待つ。

 「まぁ、そんなところですよ。もしやお嬢さん。貴女もお買いものを? 」
 「ええ。主人の晩餐の為にね」
 「主人?これは失礼。ひょっとして、既婚されてる? 」
 「冗談。私の主よ。言い方が悪かったわね、訂正するわ」
 「はぁ。ご主人様の為にお使いを。ははは、これはこれは」

 声の主の笑みが聞こえる頃には、その姿はもう完全に捉える事が出来ていた。
 その様を見て、私は指を掛けていたナイフを落としそうになる。
 何と言うか、あまりに。予想には反していたのだけれど、正解だった。
 声の主は、私よりも年下に見える小さな女の子だった。<

 「これは奇遇。私もご主人様の為のお使いなんですよ」

 少女はくすくすと笑っている。

 「さぁ、お嬢さん、こんな日は危険です。よろしければ里までお送りいたしますよ」

 差し伸ばされた手をそのままに、私は少女を睨み付ける。

 「貴女、人じゃないわね」
 「おや。よく見たら、貴女の方こそ人間なんでしょうか。空から見掛けたものだから、てっきり里の人間か何かだと思っていたのだけれど」
 「飄々としたその態度。人じゃないなら貴女、幽霊か何かかしら。遭難者のお迎えだったら御苦労様。私はまだ生きてるわよ」
 「あら、ご名答。なかなかどうして勘が良い。悪態を吐く様もまた好し」
 「……名乗りなさい。冥土の従者」
 「初めまして、でいいのかしら。私の名前は魂魄妖夢。実体と幻を内包する、正真正銘の幽霊です」
 「で、その幽霊ちゃんが私と出会ったのは何の因果かしらね。それとも貴女、私に何か用があって? 」

 構えは解かず、いつでも先制が取れる様に集中する。自信はある。奴の得物を見ても第一手は必ず私が取れると自負出来る。
 例え第一手が弾かれたとしても、その隙に時を止めてチェックメイト。いつも通りだ。

 「どこの主人に仕えているのかは聞きませんが、その殺気、もうちょっと押さえていただけませんか。死人とは言え、心地良いものではないんですよ」
 「貴女に敵意が無いのであれば、私も考えるわ」
 「だから私はお使いに来ているだけですって。貴女だってそうでしょう?第一、私には貴女と対立する理由がない」
 「主の命でね、人外に出会った時は例え友好的であっても気を抜くな、と言われてるのよ」
 「ふぅん。難儀な方ですね」

 妖夢は頬を膨らませてそっぽを向く。掴めない奴だ。

 「……敵意、ねぇ。まぁいいや。はい、これで良いですか? 」

 そう言って背中に背負っていた得物を道端へ放り、苦笑しながら手を上げる妖夢。

 「南無三」

 阿呆め。彼岸へ帰れ。
 妖怪だろうと幽霊だろうと。勝利するのはこの咲夜だ。依然変わりなく。
 笑みを添えて、私は彼女へナイフを投げる。

 「……これだから人間は」

 少女が呟いた。幽かに、そう聞こえた気がした。
 刹那、捉えていたはずの妖夢を見失う。
 ナイフを投げた際には確かにそこにいたはずなのに。まるで消える様に、気配さえ無くなっている。

 「幽霊だから、気配を消すのも簡単って魂胆!? 」

 一先ず体制を立て直す。私は懐中時計を握り締めその秒針を止めようと、時を止めようと試みる。
 試みるも、遅かった。

 「はい、王手。貴女の服装であれば、チェックメイトと言った方がそれっぽいかしら」

 喉元に短刀を突き付けて。見上げ笑う妖夢。いつの間に奴は、私の懐に潜り込んでいたのだった。

 「あ、あんた何それ。フェアじゃない」
 「お嬢さん。それ笑えないし、不愉快です。それよりも。さぁ、どうしましょうこの状況」
 「……完敗。さぁ早く、その短刀で首を掻っ切って頂戴」
 「……お望みならそれも良し、ですが。残念、命までは取りませんよ。貴女を迎える事についてはやぶさかではありませんが、その心。私達には少々騒がしすぎる」
 「……窘められた。死人に口無し、とは言ったはずなのにね」

 生かされた。よりにもよって、死人に生かされた。
 屈辱のあまり、足元が震えだす。

 「ええ、死人に口は無いですよ。でも私、半分死んでませんから。たまにはこうやって、窘めたりもするんです」
 「……へぇ。悪かった。悪かったわ、妖夢。仲直りしましょう。貴女の事、少し興味が沸いたわ」
 「とか言いつつ、解放したらしたで何かしたりしません? 」
 「死人に嘘は吐かないわ」
 「……さっき吐きました」
 「わ、悪かったわ。ごめんなさい」

 妖夢の眼光が私を捉えている。
 その瞳の中に映る私の何とみすぼらしい事か。目を背きたくなるが、背いたが最後、私の首は銀白の大地に綺麗な花を咲かすだろう。
 そして、その事実は紅魔館と我が主に決して消える事のない傷跡を残す事になる。
 飼い犬の躾がなっていない、職務放棄の名ばかりご主人様として。
 しばしの沈黙。やがて妖夢は小さく溜息を零し、口元へ微かな笑みを含ませた。

 「……ん。まぁ、いいです。ご主人様への忠誠心に免じて、貴女の命、繋いでおきます。私もはしゃぎ過ぎました」

 そう言って、喉元の短刀を下げ、丁寧に鞘へと納める妖夢。解放された私は思わず転げそうになる。どうやら無意識のうちに後ずさりをしていたらしい。

 「な、情けない……。お嬢様にどんな顔を向けたらいいか」
 「あら、貴女の主は女性なんですか」

 そんな私の心象など存ぜぬといった様で、得物を拾い上げ雪を払いながら間の抜けた声で返す妖夢。
 目をぱちくりとさせて、先程の張り詰めた空気が嘘のよう。

 「ええ。私の主は女性よ。風貌だけで見たら、貴女より年下に見えるかもしれないわね」
 「はぁ。私より年下ですか。まぁ、私達人外の者にとって風貌はあまり意味を成しませんし、そうなんですかといったくらいにしか受け取れませんが」
 「違いないわ。貴女を見ていると、とみにそう感じる」
 「……馬鹿にしてます? 」
 「いやいや。いいじゃない若いって。お肌の心配、いらなさそうだし」
 「そんなものでしょうか……むぅ」

 首をかしげながら、いまいち納得出来ないといった様子の妖夢。そのころころと変わる仕草が幼く見せるって事に、まだ気が付いていないらしい。
 ……くそっ。こんな子に負けたのか。克巳心の重圧で挫けそうだ。

 「で。そのご主人様の名前。なんていうんです? 」
 「えっ。お嬢様の名前? 」
 「ええ。気になるじゃないですか。気になりません? 」

 そういうものなのだろうか。命の取り合いで聞いておこう、っていうんならまだしも、このタイミングで聞く理由が私にはよく解らないが。
 ああ、何その期待を含ませた瞳は。最近の若い子は、よく解らない。

 「レミリア。レミリア・スカーレットお嬢様。本来であれば名を呼ぶ事さえ恐れ多いほどに気高く尊い、吸血鬼にして夜の王――」
 「レミリア……ああ、こないだの紅い霧の主犯。その名は冥界まで届いていますよ。うちの主人は『単色で退屈ねー』などと呆けていましたが」

 苦笑しながら言う妖夢。
 単色で退屈……。
 お嬢様が示した宣戦布告の紅い霧は、ここの者にとっては天気で変わる空模様程度にしか映らなかったのだろうか。
 なんだそれ。ちくしょう。

 「それで貴女、名はなんて? 」
 「え? あ、ああ。そうね、名乗っていなかったわね。私は十六夜咲夜。ちょっと枠から外れているけど、寒いのも暑いのも苦手なただの人間よ」
 「咲夜さん、ね。貴女と私は境遇がとてもよく似ている。何だか少し不気味ですね」
 「と言うと妖夢。貴女の主もまた女性――」

 そこまで言ったところで、妖夢は人差し指を口元に当て続く言葉を遮る。

 「そうなんだけど。そこまで聞いたら貴女は聞くでしょう?私の主が誰なのか、を」
 「そりゃ、まぁ。気になるじゃない。貴女がさっき言ったように」
 「うん。でも、今は言えない。もしかしたら、言える機会は無いかもしれない。でも解って咲夜。貴女が主から命を受けていた様に、私も主から命を受けている」

 妖夢はすまなそうに、しかし私を見据えはっきりとした口調で言った。
 その瞳は澄んでいて、その命は何があっても完遂すると言う覚悟と決意が映っていた。
 その意味を、私はよく知っている。
 例え我が身を呈しても。例えそれが何かに背く事になったとしても。何があろうと厭わない、狂気にも信仰にも似た意識。
 それはやがて自身の中で芯となり、絶対的な真実となるのだ。

 「もしかして妖夢。この長い冬も、ひょっとして貴方達が――」

 そこまで言って、私はしまったと口を紡いだ。

 「――だとしたら、どうします? 」  「……今はお互い聞かなかった事にしましょう。私も貴女も、待っている人が居る。今更甘い事を言うけどね」
 「咲夜さん。こんな出会い方だけれど、私は貴女と仲良く出来るかな、と思っているんです。だから、今日の事は貴女の中に仕舞っておいてください」
 「う……。あー。そうしておくわ。努力する」
 「感謝します。では、里へ参りましょうか。吹雪く前に買物を済ませてしまわないと」

 微笑んで、もう一度手を指し伸ばす妖夢。先程までの険しい顔はどこへと行ったのやら。
 その変わり様に頭を掻く。何だか上手く納得が出来ない。
 しかし彼女のその、自身の命を奪えたはずの手を見てみると、何の変哲も無い年相応の少女の手のひらだったので、私は何だか考える事自体が馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。

 「――あら。幽霊なのに、そこまで冷たい訳じゃないのね」
 「言ったでしょう。半分は人間だって。だからさっきから私も寒いんですよ」
 「難儀ね。半人前って」
 「うー。気にしてるんですよそれ。どっちつかずってあんまり好きじゃないのに……」
 「……ええ。ほんと、難儀ね。半人前って」

 談笑を交えて、里までの道を歩く。
 魂魄妖夢は本当によく表情の変わる子だった。
 妖夢が言ったように、私も彼女とは仲良くなれるかもしれない。
 出会い方は決して心地良いものではなく、思い返しては胸を引き裂きたくなる衝動に駆られるのだろうが、それでも彼女が見せる無垢な笑みは、見ていてとても心地が良い。
 今はまだ対極が同居していて複雑な心境だけれど、いつの日か、彼女に笑顔で返せる日が来ると思っている。
 その為に、今日の日の悔しさは糧にする。貪欲に。糧とするのだ。
 私は忘れない。先程の、魂魄妖夢の殺気を。悲しみを帯びた、神妙な面持ちを。
 主への忠誠は、感謝となり、やがて慈愛へと形を変える。
 こんな言い方をしてしまうとお嬢様は気を悪くされるかもしれないが、その慈愛は親が我が子に向ける無償のものに近い。
 妖夢は何か、主の為に我が身を捨てなければ辿り着かない境地へ向かおうとしているのではないだろうか。
 私の決意とはまた違う、もっと別の傅き方をしているのではないだろうか。
 それを確認する術を私は持っていないが、今はただ、彼女の歩みに合わせて歩くくらいしか出来なかった。

 私は、これ程までの覚悟でレミリアお嬢様を護れるのだろうか。
 今まで築いてきた何かが、少しずつ崩れていく気がした。


 次に魂魄妖夢と出会うのは少し先の事になる。
 彼女と彼女の主人の目的を、その理由を知ったとき。
 私は初めて、あのとき妖夢が見せた顔の意味を知る事が出来たのだった。




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原作を見ていると、彼女達の主へ仕え、傅く覚悟は相当なものだと思います。
そういった後ろ姿を、もっと表現出来たらと思っている次第でございます。
――そこ、みょんが別人とか言わない。ここからYYYを経て段々丸くなっていくんですよ。きっと。

初出:幽明櫻(2010/05/04)
当作品はそれを一部修正したものになります。