S I S T E R C R A N B E R R Y
――或る、雨の日の事。
打ち付ける雨が、窓を鳴らす。
曇天の空は、月の光を許さない。星の並びも許さない。
導を失い、者共は記憶を頼りに歩き出す。そんな不安を試す様に、闇はその頬を濡らす。起きろ起きろと敲いては、お前はまだ此処に居る、と伝えるのだ。
何も解らなければ不安じゃない。でも、解るから不安になる。
音。匂い。肌に触れる、冷たい感覚。
しかしそれらは、彼等からしてみたらせめてもの慈悲なのかもしれない。
――苛々する。折角の漆黒が、こんな様では興醒めだ。
例えるなら、観劇。
一人の莫迦が下らない即興演技で観客から本来とは違う、即席の歓声を受けている様を見ている様な気分。
ねぇ貴方達、安いサプライズがそんなに満足? 規律統制された完全なる箱庭を眺めていた方が、幾分気が紛れるのではなくて?
幾分。そう。そもそも、私にとって観劇などあえて観るものではない。劇中で綴られる全ての予定調和なんて、現であっても変わらないのだから。
つまりは、何を観ても三流、出来が悪く粗悪な物に見えると言う事だ。
だから、欠伸をひとつ。拍手をひとつ。早々に立ち去ってやるわ。ああ咲夜、その炒り玉蜀黍、美鈴にでもくれてやりなさい。きっと鼻水垂らして喜ぶわ。
――ああそう言えば。故郷では観劇時の炒り玉蜀黍は禁止になったって聞いたわね。解せないわ。あれだって役者の一人、必要な要素なのよ。
許してやれる唯一の部分すら無くすなんて。救えない。
がたがた。
風が吹いてきた。窓枠が震え、悲鳴を上げて軋み出す。
空がこんな様子じゃ、あの夜雀も鳴かないだろうし、あの油虫や暴食家の笑い声も聞こえてこないだろう。巡回する白澤と鉢合わせする事も無いだろうし、似た者同士の馴れ合いに出くわす事も無い。きっと何処までも静かな、私だけの時間がそこにあるのだろう。
それなのに。ああ、こんなにも素敵な夜なのに。
この滾る血は。熱は。想いは。何処へ収束させればいいというの。
焦らしてもくれない、待たせるだけの甲斐性無し。
そんな今宵が、心の底から憎らしい。
――ならば。飛べない夜にする事は、大体これと決めている。
左手で宙を裂く。その軌道は一本の紅い筋に描かれ、ほの暗い部屋で真紅の色に鈍く光る。その筋を指先で弄り、ゆっくりと開いてやる。
ぐちゅぐちゅと、水気を帯びた音が耳に届く。
ある程度ほぐしてやって中の様子が見える頃になったら、手首まで入れて乱暴に押し広げる。温く湿って纏わり付く内部を探る。僅かに堅い感触が指先に触れる。それを掴み、一気に引き摺り出す。
粘液で塗れた、鍵の束が現れる。うん、いつも通り。目的のものだ。
ハンケチで汚れを拭く。ぬるぬるしたものが、なかなか取れない。億劫そうに雫が垂れる。
鼻先を近付ける。酸味を帯びた重い香りが鼻をくすぐり、眉間に皺を寄せた。
生命の温床。あの生々しい香りと似ている。割と数を重ねているはずなのに、この匂いは、なかなか慣れない。
……相変わらず面倒な呼び出し方をしていると思う。ただこの鍵だけは、このやり方が一番『らしい』気持ちになれるので、代償だと思えばまぁ、甘んじて受け入れてやれない事も無い。それに、結果ペイになるのだから細かい事はいちいち考えない事にする。寧ろ、このハンケチの汚れを、別の何かと勘違いされてしまう事の方が億劫だ。
一先ず、準備は整った。
指先でそっと、蝋燭の灯りに触れる。じじじと、指先を焦がす熱を感じる。
その命の様を確認し、一息で、その運命を終わらせる。
貴方の蝋燭としての人生は、宵越しすら越えられない。脆く、儚い。ひとつの命が終わりを迎え、室内もまた、黒に染まる。
私の足音。窓を打つ音。鍵達が触れ合い奏でる音。軋む窓枠の音。音色によって形成される、私の部屋。
外界へ続く閉ざされたドア、その封印を解くドアノブに手を当て、ゆっくりと開く。本日の役目を終え休んでいた筈なのに、給仕をせがまれた彼の、間延びした欠伸交りの返事が聞こえてくる。
……癪に障る。
主人が居ない時にこの部屋をどの様な形で護っているのかは論点では無いのでこの際不問にしておく。事実、この部屋の結界は私以外に破られた事が無いのだから、まぁ立派にお勤めを果たしてくれているのだろう。(もし護られていなかったら、下着の数が合わない筈だ。数えているわけじゃないけど)
でも、今日に限っては雨が降っている。外出する事は無い。
私が部屋に居るのは解っているのだから、もう少し真面目に働いてくれてもいいと思うのだけれど。
「あら。私は貴方じゃなくったって構わないのだけどね。私を護るモノなんて、吐いて棄てるほど居るのだから」
その体を優しく撫でて、悪戯っぽく笑ってみる。
無機質な彼の体が、僅かにだけど反応する。そそ。モノであっても素直が一番。感情に抗うなんてノンノン。意味が無いわ。
「ねぇ。今の私、とっても気分が良いの。だから夜が明けるまで、貴方いい子にしてなさいね。また帰ってきたら、優しく撫でてあげるから」
口元の『象徴』を覗かせて、私は彼にウインクする。そんな私の仕草を無視する様に、彼はその体を元のままに納め、黙りこくってしまう。紳士らしいっちゃらしいのだが、まったく可愛げの無い反応だ。
つれないねぇ。私は掌をひらひらとさせて、彼の元を後にした。
ふと気付く。あーなんてこと。今の私ったらはしたない位に浮かれているわ。ホント、気分が高揚してどうにかなってしまいそう。
だってそうでしょう?モノ如きに話しかけたり笑ったり。乳臭いガキが夢見てんじゃあるまいし。レミィ、貴女頭おかしいんじゃないかしら?
踵を返し、ほの暗い廊下を歩く。向かう先は勿論、あの子の部屋。
フランドール・スカーレットが眠る、あの地下牢。
/
石段を歩く。残響を残して、乾いた音が後を追う。
私はこの静寂が堪らなく好きだ。外界が齎すあらゆる要素が遮断され、仄暗い趣と黴臭い香りを基としたまま、悠然と構えているこの静寂が 堪らなく好きだ。
更にその理を、私が自らの意思で蹂躙する。私の足音が、その閉ざした口を抉じ開けるのだ。有無を言わさず。一方的に。
主である故、屋敷のどこを歩こうが勝手、というのは当然と言われれば確かにそうなのだが、本来それは浅はかな行為であって、例え行使する権利を持っていたとしても、そう易々と成せる訳ではないはずなのだ。
理性ある生物には等しく、縄張りとか、パーソナルスペースとか、そういった類のいわゆる不可侵領域というものがある。
それは水と油の様な物で、仲良く同じ器に収まっていても明確な境界を設けて自己を保っている。
ならば理性も持たず、本能と呼ぶにはあまりに短絡的な、ただ神から与えられた力を誇示するだけのモノである奴等はどうか。ところがそんな奴等でさえ、境界を示し、誇示している。
だからきっと、そこに理性とか本能とかは本来無くて、在ると同時に有るだけなのかもしれない。
自分の空間と相手の空間が触れ合い、掠り合う。時には拒絶し争いになる。誰も彼も、自分であるが為に自分を、その内に飼っている。
触れたい。あげたい。繋がりたい。貴方とひとつになってみたい。
そう願い、まぐわう行為もご愁傷、自身の境界を越える事は出来ず、また、しないのだ。自己は唯一無二であり、他者もまた、唯一無二なのだから。
そんな理で、世界はなんとか回っている。
「だからこそ、莫迦だね。同じになったら、あの子に触れられないじゃない」
自分が居て、相手が居る。
絶対に埋められない溝があるからこその、他人に触れられる幸せ。
その体に触れて同化を求めても、直ぐ反発し決して交わらない事こそが、快楽の要だと言うのに。
「触れる事は、侵す事。侵す事は、染め上げる事。染め上げる事は、染められない事を知る事。それでも触れるのは――」
好きだから、ってところかね。
理性と本能を内包している、希有な揺らぎ。
ああ。あの子にだけは、私も俗に染まるのね。
追い掛けてくる残響が歩みを止めた。仄暗い地下室は、再びその静寂を取り戻す。眼前には鉄格子の扉。冷ややかな瞳を真っすぐに携え、その沈黙を守っている。
小さく息を吐いて、右手を挙げる。鍵の束を扉の前に掲げる。
「さぁてと。ねぇ貴女。ここ、開けてくださる? 」
小首を掲げ、微笑んでみる。
程無くして、鍵穴が深い赤色に光る。その光は大きさを変え、ぼんやりと、合図を送る様に点滅を繰り返す。
やがてその光に呼応する様に、鍵の束が小さく光った。
すなわち、何本とある内から唯一、つがいとなる鍵が示されたという事だった。
「こっちの方は、貴方ね……喜びなさい。貴方達に、素敵な素敵なあまぁーい夜をプレゼントしてあげるわ」
赤く光る者同士を結合させる。奥まで入ったのを確認して、ぐるりと回す。これで封印はおしまい。ご開帳。ね?簡単でしょ?
「気分はどう? ……プレゼントしてやるつもりだったけど、やっぱ駄目。これからってときだけど、残念残念」
一先ずの役目を終えた彼を引き抜いて、奥へと進む。重い扉を閉めた後、後ろの穴に突っ込んでもう一度ぐるりと回す。おお、なんてアブノーマル。
取っ手を何回か引いて、鍵が掛った事を確認する。重い音が響くだけで、扉が開く気配は無い。よし、これであんたの役目はおしまい。精々、悶々としてなさいな。数刻経ったらまた呼ぶわ。
扉を後にし、ゆっくりと歩き出す。凛とした空気が頬を刺す。ポケットの中で、鍵同士が奏でる小気味良い音が辺りに響く。
あの子の名前で積んだ煉瓦は、昼も夜も奪い去った。いつだって仄暗く、時間の経過を狂わせる。何刻かおきに従者の者が、室内の灯りを変え、食事を運ぶ。その回数が、唯一時間を知る術になる。
もっとも、その従者がどうなったか等、知る由も無いが。
まぁ、雇用している者の大半は妖精なのだから、死んだって事は無いだろう。再生して壊されて、また再生したら壊される。種族としての特性は、あの子にとって格好の玩具となるだろう。飽きて捨てるまで子供の様にしつこく、また残酷なまでに無邪気な顔で、さも当然の様に命で『遊ぶ』のだ。この場合、本来であれば安っぽい優越感や、覚えたての背徳感なんて物が付きまとう。だからこそのカタルシス。
けれどあの子の場合は、外界からの来訪者から何かを聞きたいだけなのだ。純粋な好奇心。純粋な欲求。ただそこに居る者と遊ぶだけの微笑ましいはずの行為が、あの子にとっては仰々しくなる。それこそが、あの子をこの部屋に括り付ける理由となるのだ。誰でも彼でも壊されたら、流石に堪らない。何より、あの子の世界はこの部屋というレンズを通したものだけで十分なのだ。
この部屋から出たいなんて駄々をこねない、従順で良い子なフラン。
今までもこれからも。それでいい。それで十分だ。
薄灯りに照らされて、キャンディーカラーが目に映る。フリルやリボンで装飾されたベッドカバーは、所々が紅にくすんでいる。
傍らには、熊のぬいぐるみやら可愛らしい人形やらが並んでいるのだけれど、どこか欠損していたりして、もはや元の姿が思い出せない様な奴もいる。少女趣味に巣食う怪奇的な趣。対極に位置する様式が会するその様はやけに説得力があって、不自然なはずなのに初めからこうであったと思えてしまえる、奇妙な一体感を生み出していた。
もう少し、ベッドへと近づく。布団に包まれて静かに寝息を立てる、フランの姿がそこにはあった。
鼓動が早まり、全身が痺れていくのを感じる。
「……ごきげんよう。フラン」
まずは一言、挨拶の言葉を掛ける。そしてはい、深呼吸。
相変わらず、この第一声が緊張する。期待が膨らみ先走っているのもあるのだろうけど、この時ばかりは何百年経てもどきどきする。ああ、今の私、恋に憑かれた少女みたいな痛々しい姿でいるのだろう。
……解っているつもりで、自分が一番解らないとはよく言ったものだ。
「……さて。今日は何をして遊ぼうかしら……フラン、ちょっと失礼するわね」
布団を剥ぐ。ゆっくりと、慎重に。これじゃまるで夜這い、いやまるでも何も夜這いそのものなんだけれど。
別にやましい事では無いんだ、だって私達姉妹なんだし。だから、起きたら起きたで一向に構わない。
構わないのだけれど、もう少し眠っていてくれた方が好都合だ。
「小さく丸まってて、可愛い。良い子にしててね、フラン……」
幽かに見える太腿に、唾を飲む。肉付きの良い健康的な艶かしさ。
フランの体。それはまるで、私の対岸にあるかの様に感じる。
見る限りでは触れられる距離、でもいざ手を伸ばせばそれは遠近法の見せる錯覚であり、結局は宙を攫んでいるだけの自分に気付く。触れられるけれど、触れてない。イコール触れられない。いっそ飛んでしまおうか。そしたら泡となって消えてしまいそうな気がして。どうしようどうすれば。そうやって、私はただ指をくわえて眺めているだけしか出来ないのだ。
この私をやきもきさせる、そんな妹の存在が堪らなく嬉しい。
「……ただまぁ。自分で膳を据えといて、何もしないってのは滑稽よね。ううむ、やっぱりこの子を前にすると色んな物が 吹き飛んで上手くいかないわ」
毎度毎度、同じ事で悩んでいる気もするが、それを成長してないと切り捨てるのは些か癪に障るので却下。
この厭らしさの欠片も無い、無添加の純粋さを前に冷静でいられる奴がいたら私の前に出て来い。もれなく褒めてやる。でもそんな奴、あの子の魅力が解っていない証拠だから、殺す。って言うか、誰もフランに会っちゃ駄目。私だけのフランで無いと、私がどうにかなってしまいそうだもの。
「あ、あはは……落ち着け。落ち着くのよレミィ。アンタ今、とんでもなくはしたないわ」
理性と本能がごちゃ混ぜになって、何がおかしいのか笑みが溢れて止まらない。だらしなく歪んだ顔をそのままに、私はフランの体に手を伸ばす。
開き直れ。こんなところまで来て、今更何を取り繕えと言うのか。淑女のレミリアはこの地下室に必要ない。ただ邪に蠢く、醜悪な私が居ればそれで良いのだ。
太腿に掌を添わす。撫でる。掴む。張りのある触感。
薄暗くてよく見えないけど、指を這わせば補える。フランは時折声を漏らしたり、寝返りを打って太腿を互いに擦り合わせたりする。小さく漏れる吐息に私は背筋を駆け抜ける電気の様なものを感じ、 体の奥にある芯みたいなもの、それが小刻みに震える感覚を覚えるのだ。
指先は欲を吐き出し、速度を速めようとするけれど、砂の様な理性でその手を抑え込む。欲に塗れても溺れてはいけない。誘われて着いていくのも良いが、元来た道を忘れる前に帰らなくてはならないのだ。
「……ふふふ。レミィ、焦っちゃ駄目。ゆっくり、ゆっくり遊べばいいのよ。まだ時間はある。フランが起きたとき、何食わぬ顔をして姉を演じられるだけの余裕がないと、あなた、帰って来れなくなるんだから」
乱れた呼吸を整えようとしても、笑みが零れて上手くいかない。今にも叫び出しそうな気持ちを無理やり閉じ込め、深呼吸をする。もう何度目か解らない。笑みはまだ張り付いたままだったけど、気休めにはなった。
体制を整える為、ベッドに腰掛ける。フランを視界から除いて、真っ暗闇の室内を眺めながら、滾る感情を平時のそれへと近付けるのだ。
胸に手を当てる。明らかに鼓動が早い。体中、血が巡っているのを感じる。今にも倒れてしまいそうな虚脱感に身を委ねながら、私は小さく呟いた。
「……フラン、大好きよ」
自身が吐いた言葉に、眩暈がした。
いつもの私が帰ってくるのには、もう少し時間が掛かりそうだった。
/
――或る、晴れた日の事。
窓越しに映る薄惚けた月を眺めて、溜息を付いた。
冷めた紅茶に口を付ける。渋味が広がって顔を顰めたけど、お陰で少しだけ目が覚めてくる。
香りも何も無い、死んだ紅茶でも何かの役には立つものだ、と感心したところで、もう一度溜息を付いた。
夜風もほどほどに、夜に生きる者も身を潜め全てが眠りに付いた頃。音ですら時間ですら、その黒い外套に包まれていつの間にか眠り変わり、白み出す空へほおり出されるのを待つだけの、束の間の頃。それは、夜を統べる私の為の時間。私だけの時間になる。
――なるはずなのに。
その私が、その時間を謳歌する事を躊躇っている。窓際に座って虚ろに空を見上げながら、纏まらない思考に溜息を付いている。恋に焦がれる訳じゃなし。恋に苛む訳じゃなし。ただ気分が乗らないという理由ひとつで、自身の娯楽すらままならなくなる。いつもの様に、その窓を開けて外套を羽織る様に、その夜へ身を委ねてしまうだけで、私は実感出来るのに。口元の『象徴』を首筋に立てて啜る様な体力を使う事をしなくても、こんなにも簡単に私は生を実感する事が出来るのに。
「夜を纏わず、昼は寝ない。不眠症の吸血鬼か。故郷の者共が私を見たら、一体どんな伝奇を記してくれるのかしらね」
きっとあれだ。お伽話の類の様に、いつかは滑稽さを加味されて、幼子に読み聞かせても問題ない衛生的かつ人生の教訓みたいな、そんな人物として語り継がれてしまうだろう。
実は良い吸血鬼、みたいな形で着色されて。東洋で語り継がれている、友人思いの鬼の様に。
そんな私を想像して、鳥肌が立った。どこのどちらさんだ、それ。
「カモミールティーでも飲んで大人しくしてようかしら……咲夜。咲夜は――」
呟いて、刹那。何を言っているんだ私は、と嘲笑を浮かべた。
今は全てが例外無く眠る頃。人の身である彼女はとっくに夢の中だろうに。あの子は気の利く子ではあるが、自動販売機のそれではない。
そもそも、『夜は私の時間だから、人間の貴女は大人しく夢でも見ていなさい』と言い付けたのは私じゃないか。
反省する。今のは流石に、反省する。
私は誇り高き紅魔館の主であっても、得手勝手に振舞う暴君ではない。規律は、主自ら守る事で揺ぎ無い強固なものとしなくてはならないのだ。
「……あー。進まないけど、頭冷やしてくるか」
頭を掻きながら、絡まる思考を何とか一本に纏める。所どころ玉結びになっているけど、一先ず放置。外出の準備をする事にする。
寝巻を脱ぎ捨て、外行きへ着替える。
帽子を深めに被り、窓の前に立つ。数秒ほどぼけっとした後に小さく笑ってみせたけど、暗いのでよく解らない。
良く解らないけどまぁ、それなりにいつもの私は取り繕えているだろう。こんな時でも自分の顔くらいには自信を持ちたい。
私の室内にある窓はひとつだけ。それも、私の背丈以上はある縦長の大きな窓がひとつだけだ。無論、採光をする為に取り付けたものではない。
私を、私の時間へ導く為の扉。ただひとつの役割なのだ。
地面から少しだけ体を宙に浮かせて、中央に位置する取っ手を引く。ゆっくりと窓は開いていって、頬を刺す風が室内へと流れ込んできた。
目を閉じて、彼らの控えめな歓迎を受け止める。
「さて、と。出遅れてしまったけれど、カーテンコールには間に合いそうね」
朝に追い付かれ、空が白み出すまでの舞台。月が消える気配はまだ無いけれど、出来るだけ早くに帰ってきたい。
白み出した空は体に悪いと言うか、何となく不安になるのだ。
「――それじゃ、いってきます」
窓枠に立ってひるがえり、窓の外に背を向ける。後ろに重心を預けて、引かれるまま、ゆっくりと身を委ね、落ちていく。
視界がぐわんと回り、空が遠くなっていった。
/
ジャスト、二秒。
羽を大きく広げ、体を捻って前を向く。
視線を落とし、地面が肥大していく錯覚を楽しみながら、そのまま叩き付けられるかどうかの瀬戸際。思い切り羽ばたいて、大きな弧を描きながら空高く上昇する。
ある程度まで上昇したら羽ばたきを浮遊出来る程度まで抑える。
眼前に広がるは、月光に照らされ薄っすらと映る雲。少し視線を落とせば、微かに我が紅魔館の姿が見える。
当たり前ではあるが、成功だ。幾千の夜に行った事だ、少しくらい神経が病んでいても、染み付いた事はそう簡単には揺らがないという事か。
いつも通りはいつも通りらしく、しっかりと残っている。少し、安心した。
少し速度を落として、夜空の中を漂ってみる。月明かりと星の煌きを残して、黒く塗りたくられた世界。村々の灯りは当に消え、妖怪達が携える灯りもまた消え、世界は往々にして漆黒。往々にして静寂。この沈黙がたまらなく好きだ。
「そしてまた、この夜もいつも通りであるわけね。私だけが享受出来る世界――」
「……そんなもの、あるんだったら素敵ですね」
静寂の中から、声がした。
驚きのあまり息が止まりそうになる。体を起こし、咳き込みながら辺りを見渡す。しかし声の主は見当たらず、先程までの闇を守っているだけであった。
「……なんだ、今の。幻聴か? 」
「それにしては、聞いたことの無い声」
「なっ……! 」
先程の声は、足元から聞こえてきた。
反射的に距離を取り、臨戦態勢を取る。
声の主は、どこか焦点の合わない瞳で辺りを見渡していた。
「……お前、誰だ」
見た事の無い奴だと思った。こんな奴、博麗霊夢の宴会に居ただろうか。
や、仮に居たとしても誰が来ているかなんてどうでもいい私だ、仮に居たとしても気が付いていなかっただけなのかもしれない。
返答を待つ私を探す様に、声の主はきょろきょろと辺りを見渡し続けていたが、やがて私の姿に気が付くと面倒臭そうに首を傾げ、そしてゆっくりと近づいてきた。
「……質問に答えろ。お前、誰だ」
もう一度距離を取ろうとするが、金縛りに掛かった様に体が動かない。意識はあるのに体が言う事を利かない。
ちょっと待て。これは、いや、考えられない。あるはずが無い。そうだ訂正しろ。あるはずが無いんだ。このレミリア・スカーレットがまさか――
初めて出会う者に恐怖しているだなんて。
「まずは、一つ目の疑問から」
その声で、反射的に体がこわばる。
声の主が口を開いた。少し間延びした、甘ったるい声であった。
「私は古明地さとり。博麗の巫女が主催する宴会には未だ参加した事がありませんので、貴女が私を知らないのも、声を聞いた事がないのも無理はありません。ましてや貴女は外の世界から来た者。私の存在など想像すら出来ないでしょう」
「なっ……」
「そして二つ目の疑問。貴女の精神は病んでいますが、今現在抱いている感覚は正常です。そう、貴女は私に恐怖しています。何故なら――」
「……勝手な事を言うな。殺すわよ」
「何故、自分の考えている事が解るのか。貴女が運命を操る様に、私は心を見透かします。それは箸を使って食事をするくらいに簡単な事。そうでしょう? 吸血鬼、レミリア・スカーレット」
「……生憎、私はナイフとフォークで食事をするんだ。箸も使えるけど、そんなに簡単な事とは思えないわね」
そう言って私は声の主、古明地さとりへ悪態と共に苦笑をくれてやった。
でも、それが今出来る精一杯だった。
いつも通り振舞えばそれでいい。いいはずなのに、何故こんな時に心が読めるとかそういった奴に出会うんだ。
何処で書き換えた? 何処で噛み合った? 運命なのであればこそ、どんな答えを見せてくる? 手のひらが生ぬるく湿っていくのを感じた。
「落ち着きなさい、レミリア・スカーレット。顔と心が噛み合ってませんよ」
そう言って、古明地さとりは眉をしかめる。
「それと、先程のは物の喩えです。まぁ、そんな事はどうでも良い。どうでも良いんです。レミリア。貴女には一度会っておきたかった。そして伝えておきたかったんです」
「伝えるって、何をさ」
「人伝いに貴女の事を知りました。聞くところによると、貴女には妹さんが居るとか。名前はええと……フランド――」
静寂を切り裂く、風の音が聞こえた気がした。
「反射的に、ですか。大切な物を守る為に動く心は本人も気付かない程の瞬発力を持ちますが、それでも想う以上は心の動きであって、残念ですが、心の読める私には十分対処可能な範囲です。と言っても、自分が何をしたか気付くにはもう少し時間が必要みたいですが」
「……お前如きがフランの名を口にするなんて。そんなに殺されたいの……? 」
理由はよく解らないが、指先が火傷した時の様にちりちりと痛み出していた。
「反射で動いた事に気が付いてない。やはり、あなたの心を覗いた時に見えた物と同じ。愚かしい限りです」
そう言ってさとりは首を横に振り、顔を伏せる。
「人の心を土足で踏み込んどいて、愚かしいとはよく言うわね。つくづく、人を馬鹿にしてくれる」
侮辱に次ぐ侮辱を経て、私の怒りは沸点に達しようとしていた。不思議な事に、沸点に達そうとすればするほど、酷く冷静になっていく自分が居た。衝動に突き動かされるまま八つ裂きにしてやりたい気持ちと、一枚ずつ爪を剥いでいく様に時間を掛けてゆっくりと虐げたい気持ち。どちらもそうしたい、そうしてやりたいという願望には違いない。その相反する気持ちが複雑に交じり合って、自分でも何とも形容のし難い、複雑な心模様を描いているのだろうと思う。
なんて事も読まれているのだろうが、気にしすぎると面倒なので放置しておく。
どちらにせよ、フランを知る事とフランの名を呼んだ時点で許す訳にはいかない。死に方の違いなんて、ほんの些細なものだろう。
「やはりそうですか。貴女の妹への想い、よく解りました」
そう言って、古明地さとりは溜息をひとつ零し、眉を顰めた。
「よく解ったのなら、お前がこの後に私から何をされるのかも、納得して貰えるわよね」
「いいえ。納得出来ません。狂人の手に掛かって死ねるほど、私の命は安くありませんので」
「ならその狂人の触れてはいけない部分に触れてしまった事を悔いなさい。そうね、例えば地獄なんかで」
象徴を覗かせて嘲笑をくれてやる。
しかし、そんな私の表情に慄くどころか古明地さとりは口元を隠し、肩を震わせて何かを我慢しているようだった。どうやら、笑いを堪えているらしい。
「……何がおかしい」
「レミリア・スカーレット。貴女、冗談のセンスがありますね。どこの世界に、実家で慄く人がいるのかしら。ましてや、私が主なのに……」
そこまで言って堪えきれず、噴き出してしまう古明地さとり。
かたや怒り心頭の私。その様を見て、頭に来ればいいのか悲しく思えばいいのか呆れたらいいのか。私にはもう、よく解らなくなってきていた。
「……はぁ。笑わせて頂きました。レミリア・スカーレット。もはや信じて貰えないかもしれませんが、私は別に、貴女と敵対する訳でも、茶化しに来た訳でもありません。私はただ、貴女に伝えたい事があって、会いに来たのです」
「初対面のお前が、私に何を伝えると言うんだ? 」
「同じ様な立場であり、同じ様に姉である、私が貴女に伝えなくてはならない、と言うんです」
「同じ様な立場……」
古明地さとりは頷く。
「貴女は知らなくても良いことなのかもしれない。私はこの幻想郷の地下、地獄とも呼ばれる地にて、地霊殿という館の主人を勤めています。貴女と同じ様に、律し、導き、尊くなくてはならない主人というものを任されているのです」
しばしの沈黙。
私の返答を待たずして、古明地さとりは言葉を続ける。
「わたしには妹が居ます。名をこいしと言い、血を分けた私が言うのも何ですが、可愛く、素直に育っています。今でこそ、落ち着いていられますが以前は、そう以前は、可愛くて可愛くて仕方なかった時期もあります。あの子の全てを独占したく、あの子の全てが自分だけにしておきたい。そう、丁度――」
そこまで言って、古明地さとりは私を見た。今までの様な、虚ろな瞳ではなく真っ直ぐな瞳で、私を捉えていた。
空は、少し風が出てきた。指先に触れ、ひりひりと痛む。
「私の様、とでも言いたいのか」
「ご名答。驚きました。この段階で、貴女の口からそう告げて頂けるなんて」
「恥ずかしくて腹立たしくて、今すぐにでもお前を殺してやりたいさ。でも、そんな事はお前に心を観られた時点でばれてしまっているのかと思うと、無駄な抵抗かと思って。フランの名を呼んだ事は許さないが、何を言いたいのかくらいは聞いてやっても良い」
「何となく態度が気に入りませんが……伝えられるのは有り難いです。いいですか、レミリア・スカーレット。今の貴女の気持ち、常軌を逸した『好き』という気持ち。それは、ただの独占欲なんです。確かに私達は他者と隔たりがある事で触れる事が出来るし、想う事も出来ます。しかし貴女の場合、、それを自覚しながら別の方法での同化を望んでいる。貴女の為だけの妹を作ろうとしている。それは果たして、本当に貴女の妹を好いていると言えるのでしょうか。自分の想像の世界だけに閉じ込めた偽者の妹と本当の妹を摩り替えようとしているなんて、しているんじゃないですか? 」
古明地さとりはそこまで言って、口を紡ぐ。どうやら、私の返答を待っているらしい。さっきは待とうともしなかったくせに……。
「認めたくないけど、いつも通りの私なら認める前にお前の首が飛んでいるのだろうけど。吐き気がするくらい当たっているので、きっとそうなんだろう、と伝えるわ。でも、そう指摘されても私はフランの事が好きよ。この気持ちは、変わらない」
「その気持ちは大事です。でも、どうか。どうか忘れないでいてください。貴女の逸脱した感情は決して良い方へ転ばないと言う事を。好きであると言う事は、自分だけが向けて自分だけに向けさせるだけの、束縛する様な行為を指す事ではない。周りの者から好かれている状況を嬉しく思い、その中でなお一番の愛情を向ける事が出来、また向けて貰える事が出来るかどうかだと思うのです。だから――」
「よく解る。解るがね、古明地さとり。それが出来たら苦労しないんだよ。それに、お前の様な下手をするつもりも、私には無いのだからね」
私は自嘲交じりに笑って見せた。古明地さとりは突然の問い掛けに目を丸くして驚くが、私の心を覗くと程無くして、首を小さく横に振りながら、溜息混じりに笑ってみせた。
「ただ一度、あの子の心を読む事が出来た。今まで読む事が出来ず、それでいて一番読みたい相手でもあったから、私は胸が躍りました。意気揚々として覗いたあの子の心の中。そこに居た私は、あの子から最も聞きたくない『三文字』の言葉を告げられていました。その日から、あの子の心をもう一度覗こうという気は、無くなりました。――よもや、心を読む妖怪が心を読まれるとは。やはり貴女は面白いですね、レミリア・スカーレット」
「心が読めると嫌な事まで知ってしまうのね。せめて心の中くらい解ったなら、と呪う事はあったけど、読めたら読めたで辛いという事が解っただけ、今日はお前に会えて良かったわ」
「レミリア・スカーレット。貴女が敢えてまだ同じ道を進むというのなら、破滅への道を辿るというのなら、これからも私は貴女に警鐘を鳴らし続けます。私の様に、距離を置いて存在を確認する様な、ただ想い続け行動へ移せなくなる様な、惨めな存在にならぬよう、いつまでも警告をし続けます」
古明地さとりは厳しい面持ちでそう告げる。
「それはお気の毒に。忠告は有り難く受け取っておくけど、精々無駄な時間と体力を使って説得しにくればいいわ。フランとの仲をどうこうするのであれば、今度こそ殺すし、そうでないのであれば、好きにすればいいさ」
そう告げて、私は古明地さとりの元を後にした。夜が白み出すまでまだ幾分か時間はあったが、今はもう、床につきたい気分であった。
私だけの時間に土足で上がり込み、散々人を馬鹿にして最後は自身の心情を吐露までしてくるなんて、非常識にも程があると思ったが、彼女と話して、少しだけ心が落ち着いている自分が居た。否定されたのに、おかしなものである。
夜風は先程から変わらずに頬を撫でていた。
少し肌寒くなってきた。
私は身震いをして、館へと急ぐのであった。
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立場や境遇が似ている二人が向ける、屈折した愛情。
人を好きになるのも好きになってもらうのも、エゴがあるので難しくさせているよなぁとおぼろげながら思うのですが、いかがでしょうか。
このお話はいつか再構築して、新しいお話として皆様にお披露目したいと思っています。
初出:博麗神社 例大祭 7 (2010/03/14)
当作品はそれを一部修正したものになります。